あなたが不快だと感じたら、不快だ!と叫んでいいんだよという話

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なぜ日本ではブラック会社が淘汰されないのか 日本は雇用の流動性が低いから、労働者の価値が低い - モジログ
2009-07-09
 この3つの人気記事には1つの共通点がある。
 それは「あなたが不快だと感じたら、あなたは『不快だ!』と叫んでいいんだよ」ということだ。
 あなたが勤めている会社がブラックかどうかは、あなたの上司が決めるものでも、あなたの同僚が決めるものでも、どこかのえらい人が決めるものでもない、もちろん有名ブロガーが決めるものでもない。あなたが決めてよいのだ。
 しかし、あなたが叫ぶとき、あなたが理論武装していたほうがいいことは間違いない。とりあえず叫ぶことが一番大切なのだが、次に、理論武装しなければならない。勝ちどきをあげた武将が次に行わねばらならないことは、勝つことだからだ。勝つためには丸腰ではいけない。武器が必要だ。
 これからあなたやわたしが取り入れるべきものは、リベラルアーツの考えだ。「うちの会社、なにかおかしいぞ」と感じたときに、労働関係の法律を知らなければ、いや、「法律を調べる」「弁護士に相談にいく」という手段があることを知らなければ、あなたは自由になることはできない。
 わたしは、「日本人は自由を求めようとしないから云々」という話をしているのではない。そんな、他人事のような曖昧な話をする人は、実際なにも考えていない。
 あなたやわたしの、自由の、しあわせのために、あなたやわたしは法律や、経済や、思想を学ばなくてはいけない。「仕事が忙しいから」無理だ、などと言っていては、それこそあなたを搾取している人間の思うつぼですよ。あなたを搾取している人間は、あなたが仕事以外何も考えられないように、ましてやあなたが仕事に疑問を持つ暇など与えないように、あなたに法外な仕事量を与えているのだから。
 ただし、あなたが法律や経済や思想を理解できなくても、あなたが叫ぶことで、優秀な仲間が増えるかもしれない。
 とりあえず、あなたが不快だと思ったら、あなたが不快だと叫ぶことが大事なのだ。
 

公務員無給論

 2010年、民主・各新党の連立内閣のもとで、公務員の給与が段階的に削減されることが決定した。それから15年、「公務員の給与は生活保護者への支給額と同額であるべし」と発言した首相の支持率は伸びに伸び、公務員給与改革法案はあっさりと衆院参院を通過した。ここに公務員の給与は、高卒からキャリア組、20歳から55歳まで、すべて一律月15万円となった。それも、3年後には半額になることが決まっている。
「おかーさん、この人、どうしてあんなにぼろぼろの服きてるの?」
 制服も有償支給になった現在では、市役所の窓口職員であるわたしも、おいそれとは新しい服を買えない。いや、それどころか、最近は職場のティッシュまで経費で落ちないのである。たしかきっかけは野田ナントカいう議員が「花粉症の人が国民の血税から出ているティッシュをむやみに消費するのはおかしい」と発言したことだった。2,3年ほど前までは、このようになんでもいいから公務員を叩いていれば正義のヒーロー、公平の使者だった。もっとも最近は、国民のほうも公務員叩きに飽き始めたようだが(あいかわらず教師は叩かれている)。
「こらっ、指ささないの! いいからここにお名前書きなさい!」
 窓口にはこの親子のほかに誰も来訪者はない。わたしはふと、子どもがさっきから鼻をつまんでいることに気づいた。無理もない。この市役所全体にでろでろとした加齢臭が立ちこめているのだ。もうだいぶ前から、この市役所での新規採用は止まっている。きっかけは天下り対策の一環として公務員の再就職が禁止されたことだった。当時の中央幹部たちは、天下り禁止法が施工される前の期間を利用して、退職金を荒稼ぎしたという。しかし残されたわたしたちは悲惨だった。今までの地方公務員と同じように、キャリア組も、上のポストが空かなくなったらしい。
 出世の道を閉ざされた官僚たちの自殺やサボタージュが連日報道されたが、それはこれまで官僚にコンプレックスを感じていた国民に向けたエンターテイメントにすぎなかった。天下り禁止によって、中央もあっという間に毎年定員いっぱいの状態に達し、新規採用がなくなったという。地方は地方で、どこの首長も人気取りのために公務員を削減すると主張した。この調子でいくと、30年後にはどんな組織になっているのだろうか。
「ちゃんとお名前練習しときなさいって言ったでしょ? お勉強しないとコームインにしかなれないわよ!」
 このセリフももう聞き飽きている。今の日本で公務員といえばホワイトカラーの中では最底辺といった認識が広まっているのだ。東大生の就職先から公務員が消えたのはいつのことだっただろうか? わたしも、なりたくて公務員になったのではない。以前勤めていた企業をクビになったので、しかたなく公務員になっただけのことだ。再就職できないことから「人生の墓場」「終着駅」などと呼ばれているが、仕事がないよりはマシだった。しかし、老後は心配である。公務員になったことで収入は減り、離婚せざるを得なかった。それに今度、年金は完全に企業年金システムに移行するらしい。公務員の年金をどうするかといったことが国会で話し合われている様子はなかった。
 この親子はまだ書類を書くのに手間取っているようだ。次の番号札を持っている老人のまぶたがぴくぴくと痙攣している。わたしはふと、老人の広げている新聞紙の一面を見た。「首相、公務員無給論をぶつ」と題されたその記事は、今回生活保護者への支援が現金から生活必需品の現物支給になることを受けて、公務員給与改革法の立法目的を鑑み、公務員の給与も現物支給に切り替えるといった内容であった。わたしの目の前が白くなり、黒くなり、白黒になって、反転した。あっ、これはやばい。自分を抑えることができない。わたしがそう思う前に、わたしの手は目の前の子どもをかっさらい、わたしの体は市役所の窓を割って道路に飛び出していた。
「よしお! よしお!」
 後ろから母親の声が聞こえるがかまうものか。わたしは全速力で走り、よしおを振り回す。平日昼間の誰もいない道路を駆け抜けるその姿は、ザ・フーのビート・タウンゼントそのもの。よしおをウインドミル奏法で振り回す。オーディエンスの熱狂は最高潮に達した。いつのまにか道路はなくなり、わたしはステージにいる。野外ステージだ。隣ではよしおの母親がキース・ムーンばりのテクニックでドラムを叩いている。今夜は客のノリもいい。これだからロックスターはやめられないのだ。
「よしお! よしお!」
 オーディエンスがよしおのモッシュを求めている。ベイビー、今楽にしてやるぜ。これが望みなんだろ?
 わたしはそれまで演奏していたよしおを全力で客席に向けて放った。体をくの字に曲げたよしおはブーメランのようにオーディエンスの頭上を旋回してふたたびわたしのもとに戻ってくる。やれやれ。今年も暑い夏になりそうだ。
(完)


inspired by 99%の公務員は貧乏 - 「高給批判」は筋違い、リッチなのは、ほんの一握りのキャリア官僚だけ | すくらむ

わたしはいかにして読書すれば幸せになれると教育されたか

学校の読書教育で一番ヤバイと思うのは「本を読め」とは指導するけど「本の内容を疑え」という話をしないところだと思っている。嘘・大げさ・紛らわしい・誤記・時代遅れの話が掲載されてる本なんて山のようにあるのに、いつも「本を読めば全て解決」「本の中身は正しい(特に指定図書)」という前提。

http://twitter.com/RPM99/status/2311251106

 このpostがはてなブックマークで人気*1です、気になる話題なので、思うところを書いてみます。

わたしが受けた教育
  • 生きていくうえで情報を得ることは大事なことである。
  • 本は情報を得るのに適したツールの一つである。
  • 本は子どものころから読んでおかないと、大人になってから読み始めるのは難しい。

 小学校ではだいたいこのような教育をされました。これはけっこう正しいことを言っているのではないかと思います。

練習用の本もある、課題図書とか…

 子どものころに「読まされる」本は、ピアノの練習曲のようなものではないでしょうか、練習曲を上手に弾くこと自体にあまり意味はないけれど、簡単な曲から始めて、徐々に難しい曲へと、楽譜を読んだり、指を動かす練習を積んでおかないと、将来発表会で使うような立派な曲は演奏できないのです。

 
 インターネットなどは、あまり訓練しなくても使えますが、やはり本は訓練しなくては使えません、目先の本が面白くないからといって、ここで本嫌いになってしまっては、あなたは将来出会うはずのすてきな本との出会いを捨てたことになるのよ、と小学校の時に教育されたおぼえがあります。
 

 たしかに、著者の「美しい少年期とはこうあるべきだ」といった偏見と願望とノスタルジーを詰め込んだクソ課題図書小説、著者の偏見を無垢な小学生に塗りたくるだけのカス道徳系指定図書で本を嫌いになっていたら、ルソーにもカントにも出会えなかったでしょう。

 
 ちなみに、イチローは中学校までは学年で10番以内に入るくらい勉強もしていたそうです、それはプロ野球選手になったらマスコミ対応など、いやなこと、無意味なこと、できるならやりたくないことをしなければならないから、やりたくないことをできるようになるための訓練だと割り切っていたらしいです。すげー。


 まぁ、わたしとしては、目先の本がつまらなかったら、好きな本を読んでいればいいと思いますが… 別に最初は好きな小説だけでもいいと思います、大量の活字を読めるようになるだけ読まないよりマシだからです。

内容を疑う以前の話

 家庭教師や塾講師のバイトをしていて思うのですが、国語でも英語でも、長文を見た瞬間あきらめる人、最後まで読む力がない人がいます。40代の先輩塾講師に雑談でこのことを話してみると、現代文の偏差値が50以下の人はそもそも文章を集中して読む力がない、と言っていました。偏差値50以下といえば全生徒の半分になるので、先輩の言うことが本当ならやはり内容を疑う以前のレベルの人のほうがはるかに多いことになります。

常識や慣習を疑うということ

 そもそも、常識や慣習を疑える人間は、ものすごく優秀です、いや、優秀でなければなりません、みんながみんな、常識や慣習を疑い出したらたいへんなことになります、みんなが集合流を無視して動くわけですから、学級崩壊が起きます。
 

 やはり、常識や慣習を疑うことには、自分で気づいたほうがいいのではないでしょうか、インターネットに、実はマスコミは嘘ばっかり流しているよと知らされた小学生中学生がどうなっているかを考えてみればわかります、人生で初めて出会う(常識から見て)悪の教師が生身の人間だった場合はまだましです、その人に失望することで一歩大人になれるからです、しかし初めての悪の教師が2ちゃんねるだったらどうしようもありません、せいぜい煽り耐性がつくくらいです。


 また、もしも「本の中身を疑え」という教育をやるとしたら、「本は正しい」という教育を行った後にやるべきだと思います、それまでで自力で「中身を疑う」ことに気付いていた子は、わが意を得たりと非常に印象に残るでしょうし、それまで無批判に本を信じていた子も、ショックを受けてやはり印象に残ると思うからです。

メディアリテラシー

 今の生徒には、いちおう、情報の授業で、報道などを批判的にとらえるメディアリテラシーの有用性についてはアナウンスされているはずです。その意味では、本を疑えという教育はすでにされているともいえます。

読むと幸せになれるブログ、始まる

 読むと幸せになれるブログが始まりました、みなさんすぐにアンテナなりRSSなりに登録しましょう、


 しかし、こんな時間にブログを始めてる人間の言うことなんで信用しないほうがいいですよ、ほんとに、こんなブログ読むくらいならアンアンでも読んでたほうがマシですよ、よっぽど幸せになれます、


 ただ、このブログは、アンアンとかセブンティーン、Hな実話あたりの雑誌では満足できない東海岸系のインテリジェントな方々のために書かれたニッチなブログなので、そのへんで差別化をはかっていきたいと思います、


 それでは、アンアンの編集に戻らないといけませんので、このへんで。