賢くなりたければ「賢く見られたい」と思うな

ともあれ、若い人たちは「自分の脳の機能をどう向上させるか」という課題に最優先で取り組んでいただきたいと思う。そして、それは「オープンマインドで生きる」ということである。
というわけで、実践的な教訓をいくつかご教授しておこう。
他人と意見が違ったら、とりあえず「キミの言う通りだ」と言ってみる。
そして、自分と意見の違う人の頭の中ではどういう推論がなされているのかを想像的に追体験してみる。
これは脳の容量を拡大するきわめて効率的な方法である。
他人が言っていることの意味がわからなかったら、とりあえず「にっこり」笑って、「ふんふん、で、それって具体的にはどういうことなの」と訊いてみる。
これは他人の知性のパフォーマンスを上げるよい方法である。
どう考えても、「バカと話す」よりは「賢い人と話す」方が愉快であるし生産的でもあるので、自分と話す相手の知性を向上させるためには不断の努力を怠ってはならぬのである。
とりあえずそれくらいから始められてはいかがであろうかと思う。

河合塾でお話 - 内田樹の研究室

 すごくいいことを言っているような気がするが、どうも、わかったような、わからないような話である。
 ところで、僕は、内田先生のものとよく似ているが、少し違う、実践的な教訓を自分で考えて、普段から実践している。もしかしたらあまり関係ないかもしれないが、せっかくなので書いておく(上の引用エントリはいわゆる「ダシ」である)。
 それは【賢くなりたければ、「他人から賢く見られたい」と思うな】ということである。
 賢くて、優秀な人は、あまり他人ウケを気にしていないか、他人ウケを狙っていないように見せる技術があることは、ふだんの生活の中で感じられることであろう。前者はいわゆる「天然」な人であるが、プライドが邪魔しないので、わからないことは素直に人に聞くし、自分より優れた人間を心から賞賛することができる。
 なに、他人におのれの優秀さをアピールしなければ相場が立たぬ、それでは出世ができないではないか、と考える人もいることと思う。しかし、あなたは、同僚や友人などに対して「あの人は他人の評価を気にしているな」「自分を頭良く見せたいんだな」「自慢話が好きだな」と思ったことはないだろうか。そう、無理に相場を立てようとすれば、周りにはすぐ感づかれるのである。あなたが相当に器用な人間であれば、「天然」を装うこともできようが、それはちょっと複雑かつ困難すぎる。
 それより、われわれは、「結果は同じでもより努力している人」に魅かれるものである。無駄な努力をしているという意味ではなく、きちんとあれこれ考えられているということだ。努力して結果がついてくればなおよい。
 それに、思い切ってプライドを捨ててみる(この言い方があなたのプライドに障るなら、「あなた以外にも賢い人/優秀な人/論理的な思考ができる人はいる」と考えてみるといい)と、周りからは「余裕がある」ように見える。「余裕」とはなんとすばらしい言葉であろうか。もちろん、過度なプライドを持たないことは、「余裕」の一要素にすぎない。「余裕」とはもっともっと深いものである。
 「余裕」こそが、脳科学?でいうところの「オープンマインド」であると、わたしは勝手に解釈した。せっぱつまったときの「余裕」が、かえって人間の脳やらなんやらを活性化させ、よい結果を生むことは何度も経験したり見聞きしている*1




 もう一度、自分を見直してみよう。自分はまだそんなに賢くないぞ。無知の知である。




 

*1:わたしは「大舞台で勝てないスポーツ選手」にはこの「余裕」が足りないと思っている。最近は、この「余裕」と「脳」のテーマも、各所で研究されているようだ。