公務員無給論

 2010年、民主・各新党の連立内閣のもとで、公務員の給与が段階的に削減されることが決定した。それから15年、「公務員の給与は生活保護者への支給額と同額であるべし」と発言した首相の支持率は伸びに伸び、公務員給与改革法案はあっさりと衆院参院を通過した。ここに公務員の給与は、高卒からキャリア組、20歳から55歳まで、すべて一律月15万円となった。それも、3年後には半額になることが決まっている。
「おかーさん、この人、どうしてあんなにぼろぼろの服きてるの?」
 制服も有償支給になった現在では、市役所の窓口職員であるわたしも、おいそれとは新しい服を買えない。いや、それどころか、最近は職場のティッシュまで経費で落ちないのである。たしかきっかけは野田ナントカいう議員が「花粉症の人が国民の血税から出ているティッシュをむやみに消費するのはおかしい」と発言したことだった。2,3年ほど前までは、このようになんでもいいから公務員を叩いていれば正義のヒーロー、公平の使者だった。もっとも最近は、国民のほうも公務員叩きに飽き始めたようだが(あいかわらず教師は叩かれている)。
「こらっ、指ささないの! いいからここにお名前書きなさい!」
 窓口にはこの親子のほかに誰も来訪者はない。わたしはふと、子どもがさっきから鼻をつまんでいることに気づいた。無理もない。この市役所全体にでろでろとした加齢臭が立ちこめているのだ。もうだいぶ前から、この市役所での新規採用は止まっている。きっかけは天下り対策の一環として公務員の再就職が禁止されたことだった。当時の中央幹部たちは、天下り禁止法が施工される前の期間を利用して、退職金を荒稼ぎしたという。しかし残されたわたしたちは悲惨だった。今までの地方公務員と同じように、キャリア組も、上のポストが空かなくなったらしい。
 出世の道を閉ざされた官僚たちの自殺やサボタージュが連日報道されたが、それはこれまで官僚にコンプレックスを感じていた国民に向けたエンターテイメントにすぎなかった。天下り禁止によって、中央もあっという間に毎年定員いっぱいの状態に達し、新規採用がなくなったという。地方は地方で、どこの首長も人気取りのために公務員を削減すると主張した。この調子でいくと、30年後にはどんな組織になっているのだろうか。
「ちゃんとお名前練習しときなさいって言ったでしょ? お勉強しないとコームインにしかなれないわよ!」
 このセリフももう聞き飽きている。今の日本で公務員といえばホワイトカラーの中では最底辺といった認識が広まっているのだ。東大生の就職先から公務員が消えたのはいつのことだっただろうか? わたしも、なりたくて公務員になったのではない。以前勤めていた企業をクビになったので、しかたなく公務員になっただけのことだ。再就職できないことから「人生の墓場」「終着駅」などと呼ばれているが、仕事がないよりはマシだった。しかし、老後は心配である。公務員になったことで収入は減り、離婚せざるを得なかった。それに今度、年金は完全に企業年金システムに移行するらしい。公務員の年金をどうするかといったことが国会で話し合われている様子はなかった。
 この親子はまだ書類を書くのに手間取っているようだ。次の番号札を持っている老人のまぶたがぴくぴくと痙攣している。わたしはふと、老人の広げている新聞紙の一面を見た。「首相、公務員無給論をぶつ」と題されたその記事は、今回生活保護者への支援が現金から生活必需品の現物支給になることを受けて、公務員給与改革法の立法目的を鑑み、公務員の給与も現物支給に切り替えるといった内容であった。わたしの目の前が白くなり、黒くなり、白黒になって、反転した。あっ、これはやばい。自分を抑えることができない。わたしがそう思う前に、わたしの手は目の前の子どもをかっさらい、わたしの体は市役所の窓を割って道路に飛び出していた。
「よしお! よしお!」
 後ろから母親の声が聞こえるがかまうものか。わたしは全速力で走り、よしおを振り回す。平日昼間の誰もいない道路を駆け抜けるその姿は、ザ・フーのビート・タウンゼントそのもの。よしおをウインドミル奏法で振り回す。オーディエンスの熱狂は最高潮に達した。いつのまにか道路はなくなり、わたしはステージにいる。野外ステージだ。隣ではよしおの母親がキース・ムーンばりのテクニックでドラムを叩いている。今夜は客のノリもいい。これだからロックスターはやめられないのだ。
「よしお! よしお!」
 オーディエンスがよしおのモッシュを求めている。ベイビー、今楽にしてやるぜ。これが望みなんだろ?
 わたしはそれまで演奏していたよしおを全力で客席に向けて放った。体をくの字に曲げたよしおはブーメランのようにオーディエンスの頭上を旋回してふたたびわたしのもとに戻ってくる。やれやれ。今年も暑い夏になりそうだ。
(完)


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